my大腸ガン記録

定年してビルメンに再就職。必要な資格はビル管までとったし、娘も就職したので保険見直しのため大腸検診したらガンだった。ショック!

大腸がんステージⅢaがステージⅠになった!!!

病理検査の結果が出ましたので説明をしますと主治医が病室に

呼びに来た。ドキドキもんで嫁と娘と一緒に説明を受けた。

初めに主治医は、手術で取り出された私の腸の説明をした後、

リンパ転移はありませんでした。脈管浸襲もありません。と

言った。

驚いて私は「え、本当ですか!よかったあ!先生、それじゃ

ステージは?」「ステージはⅠです。」

これを聞いた娘と嫁が喜び「ありがとうございます。」と

大きな声で主治医にお礼を言った。

結局、盲腸の底の虫垂入り口付近にあったガンはカーブに位置

したせいか?下に伸びたガンは固有筋層を超えておらずCTで深達度

がSSとされてたところはMPだった。主治医は転移が全く起こら

ないと言うわけではないので検査は必要ですが、抗がん剤治療

必要はありませんと言った。

ステージⅡくらいで抗がん剤がいらないような所見がでればいい

とは、ちょっとは思ったが、本気でそんな甘いことがおきるとは

考えてもいなかった。必死で折れてしまわないよう覚悟を決めて

いたと言うのが本当だ。それだから驚いた。しみじみ嬉しかった。

その後手術日から数えて7日目に退院した。

そしてこれを書いている今日、小林麻央さんが亡くなった。

最後の言葉は「愛してる。」だったそうだ。

自分は、3人に1人が命を落とすところにいるんだと覚悟を決めて

いた状態から、はるかに安全な状態に恵まれた。

命のありがたみがしみじみ身にしみる。合掌。

 

 

 

 

腹腔鏡下手術4日目、5日目

術後4日目背中の痛み止めがきれた。かなり痛い!

4日目の深夜0時頃、背中に刺してた管から投入し続けられ

てた痛み止めがきれた。お腹がガスで張って傷口を圧迫して

痛みがガード無しにふりかかってきた。堪らず点滴棒に

支えられながらトイレに行った。ガスはぷすっとも出せない

便も出ない。諦めて看護婦さんに昨日よく効いたロピオンを

点滴してくれるようお願いした。しかし、いくら時間が経っても

効かない。様子見に来た看護婦さんにそう伝えたが「次に投薬

するには時間を空けないと」と申し訳なさそうに 言われた。

我慢するしかない覚悟を決めてひたすら待った。

深夜の病棟にどこかのオジーさんが「いたぁいぃ」とか言葉に

ならない呻き声がずっと響き渡っていた。

朝方4時過ぎ看護婦さんに別の鎮痛剤をお願いした。

トラマールを点滴して貰った。少し痛みが抑えられた感じが

して採血に起こされるまで寝た。

その日、不要になった背中の痛み止めの管を医師に抜いて貰った。

抜く時に極稀に背中に刺した管が残ることが有るので医師しか

できないそうだ。この日点滴も終了した。

術後5日目やっと初便が出た!

相変わらず鈍い痛みが続いていた。

朝起きてトイレに行きねばってたらガスだけがプスーと出た。

朝食の後再びトイレに行くと今度は遂に便がガスと共に出た。

術後の食事を取るようになってからの初便が出た。

しかも軟便でなはない普通の形をした便がやっと出た。

その後昼食後もすんなり便が出て夕方にはお腹の張りも

僅かになった。復調へ近ずいて来たかもな。

 

 

大腸ガン腹腔鏡下手術翌々日

水も食事もとれたし今日は良い日でした。

朝からリハビリでサイクルマシンを低負荷で10分こいだ。

その後昼過ぎやっと水を飲んでもいいと許可が出た。

ああ久しぶりの水は美味しい。

朝の回診でガスで腹痛があった話をしたせいか大建中湯が処方された。

おかげで今日はガスが順調に出てお腹の張りによる痛みはなかった。

嫁は心労でキツそうなので今日は大丈夫だから早く帰って横になり

と言って返した。

夜には待ちに待った食事が出た。メニューは、3分粥と人参と大根

鳥ムネを圧力鍋で煮たのとほうれん草を切り刻んだお浸しと潰した

ジャガイモ。

食事が配膳される頃に娘が戻ってきて食べさせてくれた。

何だか痴呆になった具合で口をあアンと開けると細かく箸で切った

鳥ムネとかを口まで運んでくれた。

ボケた時も宜しくと言っといた。あんまり嬉しかったからガンだという事を

忘れてしまうくらい気分が良くなった。

 

 

大腸ガン腹腔鏡下手術の翌日

ICUから出た

手術の翌日14時頃ICUから出ておチンちんに刺さった管を抜いて貰い自分でオッシコをした。血の固まりのような物が出たが、まず機能を一つ回復した。まだ水も飲めないし、当然物も食べれない。歩いた方が回復が早いらしく点滴棒につかまりながら歩いた。少しぼーとするが歩くことはできる。痛み止めのおかげで痛みはない。

ガスでお腹が張って痛いからって、いきんで傷がひらいたら大変ですよ‼️

しかしこの後少しすると歩いたせいか腸が張ってきて痛みがでだした。背中に刺したところから入れる痛み止めもお腹の張りには効かないらしく、「痛い時は押して下さい。」と言われてたボタンを初めて押したが効果がなかった。しばらく嫁と娘に手を握ってもらい痛みをやり過ごした。嫁は当然握ってくれるが、普段軽口を叩いてる 娘も手を握ってくれるとは少し驚きで、さすがに心配してくれてるらしいのがわかって嬉しい。その後面会時間が過ぎても痛みは続いた。お腹に溜まったガスのせいと確信していた私は遂にトイレへ行きガスを出すことに挑戦した。30分くらい頑張ると便と少しのガスが出た。手術 前出しきらなかった便がガスを発生させているのか?あの時もっと水を飲んで完全に出し切ればこんなことにならなかったんだろうな。少しガスが出たので痛みが少し抜け睡眠 、再び痛みのためトイレへとを繰り返した。早い時間帯に解熱鎮痛剤を点滴からいれてもらったが汗が出てベッドからパジャマまで総替えになるだけで効き目も良くないので使わなかった。しかし、さすがに消耗し、朝方4時に別の鎮痛剤を入れてもらった。これがとても効いて助かった。看護婦さんからは、いきんで傷が開いたら大変ですよ。とおこられた。そうね、別の鎮痛剤試せば良いのよね。判断力が低下してますなぁ!

大腸ガン腹腔鏡下手術

無事にこの世で目が覚めた。

嫁の呼ぶ声が聞こえ目が覚めた。

手術室に入って背中を丸めて痛み止めの管を刺された後仰向けになって麻酔で意識が霞みますといわれて白いモヤがかかったと思ったら直ぐに意識がなくなった。そして次に気付いた時は、嫁の呼ぶ声がした。その声で目が覚めた。6時間かかったらしい。思いの外脂肪が多く時間がかかったらしい。痛み止めのおかげで痛みは ないが体が疲れきったような感じでとてもだるい。

そのまま背中に痛み止め、腕に点滴、おチンちんに尿排出 の管を刺されたまま全身麻酔の後遺症なのかぼーとした状態でICUで過ごした。アラームのような電子音がひっきりなしにしてほとんど眠れなかった。時間の経つのが遅くてまいった。

大腸ガン発覚から大腸ガン腹腔鏡下手術前日まで

現実に実感がついていかない

今、病室で右手に点滴(ソルダム3A)をしながらiPadからこれを入力中です。明日朝から手術予定です。手術は、腹腔鏡下手術です。この後に及んでも、現実に実感が追いついていかず、頭ではわかっているのですが、ガンなのが信じきれないです。3週間前までこんな状況になるとは、全くもって想像もできませんでしたから。同じようにガンになった人でこれから起きてくることを知りたい人くらいしか読むことはないかもしれませんが。以下、発覚から腹腔鏡下手術前日までの経緯を書いておきます。

やっぱり毎年検診だったか⁉︎

5/24保険見直しのため、念のため大腸ガン検診しとくかと言う軽い気持ちで宣伝もしてる近くのTクリニックで内視鏡検査を受けました。4年ほど前に今回とは別の病院の内視鏡検査で1センチのポリープ(中等度異形腺腫)を取ったことがありました。それが気にはなっていたこともあって検診を受けなきゃと言う思いもありました。本当は、1年おきにとは言われていたのですが、1センチの大きさになるまで5年かかるとネットで見たことと、4年前にその内視鏡検査でポリープを取った翌日に傷口のクリップが外れたのか下血してしまい再手術になったことが二の足をふませてしまったように思います。その4年前の内視鏡検査は若い雑な感じの女医さんがクリップを留めたのですが、外れた傷口の止血手術は院長とベテランの先生がされました。術中「止まらんな。」と言う言葉を聞いて思わず祈りましたね。術後院長に少しまずい状況だったのですかと尋ねたら院長は「私達は最善を尽くしました。」となんとも言えない記憶に残るコメントを下さいました。

それが、私の今の状況を生み出す伏線だったのかもしれません。後悔なんてなんの意味もないので特に後悔の気持ちはありませんが、もし3年前にこの状況が具体的に分かったら当然検診は毎年やってきたとは思います。

今回の渋い内視鏡検査

Tクリニックの検診内容は渋かったですね。いざ内視鏡を肛門から挿入する時にクリニックの医師がなかなか入りにくかったのか「ああ、入らん。ダメ、これ、無理。」と言うので「先生力ぬいてるんですけどおねがいします。」と私。更に内視鏡が腸内に入っていく途中でも「ああ捻れが酷い、無理、これ。どっか他でやって。」と言うんですね。私はおケツに棒を刺され憐れこの上ないかっこうで「先生力抜いてるんでですけど宜しくお願いします。」と平身低頭でした。こんなのありかと頭にきましたがガンにはイライラは良くないらしいので、きっと、スムーズに検診を進めるための少し手荒いの処方箋だったのかなと思うようにしてますが。そして問題のガンは大腸一番奥の虫垂入口付近にありました。3〜4センチの腫瘍でした。ポリープの形状が崩れトップ中央が陥没し出血していました。4年前にポリープを取った時に形状について調べてましたのでガンだと思いました。Tクリニックの医師も病理検査でないと断言できないが悪性と思うとのコメントでした。この医師の前勤務地の総合病院に紹介状を書くので行くように勧められ、更にCTで進行度がわかるのでCTを予約しているので食事抜きで行くよう言われました。

ガンの手術はどこもいっぱいなんですね

5/26Tクリニックに勧められた総合病に行って14時半の予定で2時間待たされ応診してもらいました。「ガンだと思います。で、どうします。」と訊くので「TクリニックからCTを予約してきたのですが。昨日念のためその旨確認の電話もしたのですが。」と答えると「手術は早くても1ヶ月以上先です。もっと早いところが良いと転院してもデータは渡せませんよ。CTだけなら渡せますが。」と言うのでガンの医療現場を知らなかた私は少し驚き、情報が足らないのを痛感し、少し戸惑ったけれどCTだけは是非取って進行度を確認したいと、お願いしました。しかし更に1時間待たされ血液検査をしたところクレアチンが0.01基準値を上回ってるので検査できません。と言われてしまいました。食事抜きで水分も取らずずっと待ってたので少し上がっただけってことはないですかと食い下がったけれどダメでした。何よりも知りたい進行度を知るために食事抜きで夕方5時頃まで待たされあげく空振りで疲れてしまいました。取り敢えずここじゃダメだと感じたのでより大きな総合病院に紹介状を書いて貰いました。そこでも更に何ヶ月もまたされるなら戻って来るしかないので帰り際には、その時は宜しくお願いしますと、これまた平身低頭で頭を下げました。

結果判明Ⅲa

5/29新たに紹介された総合病院に行きました。だめもとで食事抜きでいったら運良くCTも取れました。結果は後日、盲腸ガンで、肺肝臓遠隔転移なし、深達度SSリンパが少し膨らんで見えるN1でステージⅢA、分化度tub2という診断でした。手術は腹腔鏡下手術予定。最初、Tクリニックでは出血しているので早くした方が良いと言われてたのですが、検査結果貧血もないので心配いらないと言うことでした。しかしガンはそんなに急いで手術する必要がないと説明をされても、リンパに飛んでいるのなら数時間単位でヒュルヒュルってガンがとんでしまうことがないの?と早い手術を希望していたのですが思いの外早く手術になり少し良かったと思っています。因みにこの総合病院でも内視鏡をしたのですがスルスル何の苦情もなく行われたので検査後Tクリニックで言われたことを聞いてみたのですがそんなことありませんよ普通に検査できましたと言われました。やっぱり虫の居どころが悪くてドクハラだったのか?いやいや、感謝感謝です。あれは手荒いリラックスさせるため対処方だったんです。ありがとうございます。

分化度tub2って?

分化度tub2と言うのは悪性度が良くないらしいですが具体的に5年生存率との因果関係が良く分かりません。誰かそのことについてよくわかる説明があるwebサイトがあれば教えて下さい。

大腸ガンステージⅢaになって気持ちの整理

これでやっと現状まで記録が追いつきました。明日はいよいよ手術です。これを入力の途中リハビリの説明と麻酔の危険性の説明とヘソ下の毛剃りを済ませました。内視鏡でガンを見てからちょうど3週間です。最初は何で俺がガンなんだと20秒に一回くらいの割合で頭の中でルーティンしている状況が続きました。起きているときは気持ちの整理ができていても、寝て目覚める時に、ああ俺はガンだったんだよな。ゆめじゃない?ってマジで自問してしまいます。少し整理がついて俺はガンなんだと、重い気持ちで起きるそんな日が続きました。それでも普通に仕事をこなし保険の手続きをし、やり残した家の雑用も順調に片づけ入院ギリギリまで大忙しだったですね。嫁と映画を観に行ったり充実した日常ではありました。少しは、私の心の中を整理でき、濃い時間感覚を与えられたと思うようにしたせいかもしれません。嫁には、私を独りにしないで、孫の世話をして娘達を助けるまで生きてと言われました。全く娘達を助けるまでは何とかしなきゃと本気で思っていますし、嫁を今の段階で独りにできませんし、それに精一杯努力して近づけて行きますけど、濃い時間を与えられたと感謝して行こうとも思います。仕事も上司に良くして頂いて2週間は有給で対処ができそうです。その後は、術後です。

明日の今頃はこの世で目が覚めて良い結果がまちうけていますように合掌!